富山県の城跡

富山の城跡探訪

日宮城(日の宮城、火宮城)

富山県射水市下条(地図:Googlemap

 日宮城は別名火宮城とも言われ、旧北陸道沿いという交通の要所に築かれました。

 富山城を本拠に置く神保氏の支城であり、神保長職(ながもと)や神保源七郎が守っていました。 神保長職の没後は、越後上杉氏の支配するところとなり、神保の旧臣である神保覚広や小嶋職鎮が日宮城を守っていました。
  元亀3年(1572)、加賀越中の一向一揆勢による攻撃により、上杉謙信からの援軍は一揆勢にはばまれ、やむなく神保覚広らは和議を結び石動山へ退去し、落城しました。

  遺構については諸説あり、本丸を現在の日宮神社の場所と案内するガイド本もありますが、「日宮新村見取絵図」では、それより北東の丘陵地帯に本丸と二の丸があったとしています。ただ、その場所は私有地により「立入り禁止」の表示がされていますので注意してください。
  また、城の南方には「小嶋屋敷」「寺嶋屋敷」の跡と思われる場所もあり、神保長職の家老・小嶋甚助と寺嶋牛之助が居住したと「越中古城記」にはあります。むしろこちらの削平地の方が見所と言えます。
 急な切岸が特徴ですが、全体的に防衛の工夫はなく、丘を適当に削平したという感じです。一揆勢を迎え撃てずに退去した理由というのも伺える気がします。

 2003年には、二の丸付近で発掘調査が行なわれ、陶器や鉄製品などが出土しています。

参考文献:日の宮城跡発掘調査概要(小杉町教育委員会:2003年)

日宮城遠景
日宮城全景。手前が日宮社。奥が本丸跡の丘。

日の宮城遠景
本丸跡の丘。右の丘に薬勝寺がある。

日宮社
日宮社入口。案内板があります。

案内掲示板
日宮社入口にある案内板。

日宮社叢
ちなみに隣にある日宮社叢の案内板

日宮社
日宮社。
登り口に城跡の案内板がある為、ここを本丸と間違う人も多い。

日宮城石碑
薬勝寺入口にある日宮城跡の石碑

薬勝寺境内
薬勝寺境内。かなり広い。城の一部であったのでしょう。

櫓台
薬勝寺境内北側に櫓台のような高台が存在します。

日宮城本丸
東端の集落から本丸を見上げます。
上段に本丸の切岸が見えます。

日宮城
遠方から本丸方向を見ると、削平されているのがよく分かります。

二の丸跡
二の丸跡。一部削られている。(平面図Bの部分)

二の丸跡
二の丸跡の削平地(平面図B)

本丸跡
二の丸跡から、本丸跡方面を見る。
「私有地・立入禁止」の看板があり、本丸跡地には入れない。

切岸
本丸南側の切岸になりますね。

薬勝寺裏
城跡を東西に分割する堀切部分。
元々は繋がっていた?
右上に土塁跡があるのですが、私有地立ち入り禁止だそうです。

日宮城
平面図Cの館跡への入口。虎口状になっています。
GoogleMap ビュー

館跡地
薬勝寺裏にある館跡地(平面図Cの部分:GoogleMapビュー
ここが本丸だと言われれば納得するほどしっかりした郭となっている。


平面図C。奥に薬勝寺の本堂が見えます。


薬勝寺裏、平面図C郭の虎口前の空間。
佐伯先生は、ここが馬出曲輪だったと推測。


C郭の南側切岸(GoogleMap ビュー

日宮城館跡地
薬勝寺墓地にある館跡地。(平面図D部分)
この写真は古く、今は完全に墓地となっています。

日宮城本丸
薬勝寺境内から本丸方面を眺める。深い谷で分断されている。

日宮城 切岸
薬勝寺南側裏の切岸
2015年に伐採された際に撮影。

日宮城航空写真
航空写真 (昭和50年・提供:国土画像情報 国土交通省)

日の宮城平面図
『小杉町の遺跡』より平面図引用

加越能鉄道跡
ついでですが、城跡の北側を走る「中央サイクリングロード」
これは、富山ー太閤山ー高岡を結ぶ鉄道路線予定跡でした。
鉄道工事途中で頓挫。

 

 

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