富山県富山市婦中町富崎(旧:婦中町:地図)
神保氏の重要拠点として、度々戦乱の場となった城である。
元亀3年(1572)、神保氏旧臣の水越氏と加賀一向一揆が籠っていたが、上杉謙信によって攻められ焼き払われた。天正9年(1581)には神保氏旧臣の寺島牛之助・小嶋甚助が上杉方として在城していが、織田方に攻められ、寺島・小嶋は城に火を放ち撤退した。主郭からは焼米が出土したという。
北と西側は急峻な地形に守られているが、尾根筋となる東と南方向は切岸や横堀で守りを固めている。特に南側の横堀は折れを設けている。さらに城内の主郭を守る横堀を設け、土橋で馬出しと連携している。
丘の夢牧場に隣接してアクセスしやすい。ただ、牧場建設により破壊された遺構もあるであろう。(撮影2009年6月)
>>富崎城紹介動画(youtube)
城跡脇に車を停めてから、ほとんど登ることなく見て回れる山城跡。
横矢掛けの虎口には是非入って欲しい。そしてその恐るべき防御を体感して欲しい。
内堀は浅く見えますが、西端へ行くほど深くなるので頑張って行ってみるべし。
富崎城 位置
富崎城周辺の旧地図
牧場整地前の尾根の様子が確認できる。
富崎城全景(南東方向より)
富崎城案内板
富崎城案内板 説明書き
富崎城縄張図
縄張図D部分
案内板より北側の郭跡
富崎城主郭(縄張図A部分)
主郭にある井戸跡
井戸跡より東方向を見る
内堀(井戸跡の南側付近)
外堀と土塁(城跡南側)
適度に折れ曲がっており、防御を高めている。
内堀の土橋部分。奥が主郭。
馬出部分土塁(縄張図B:写真奥が本丸方向になる)
馬出の周囲は堀で囲むが分かりにくい。